ハンセン病患者の隔離政策
元患者と家族らが、国に損害賠償を求めていた裁判で勝った

国の責任を認めた昨日の熊本地裁の判決はよかった
国は絶対に控訴することなく、まずは謝罪すべきだ
国の隔離政策…
「無らい県運動」などと称して、国も自治体も民間も総ぐるみで患者をあぶり出し、
全国で競い合うように、次々強制収容していった
国をあげて「ハンセン病は恐ろしい」という偏見や差別を社会の隅々まで徹底していった
患者は社会で当たり前に人として生きる道を断たれた
強制収用に監禁、断種、堕胎まで…
このニュースが流れた日から、原告代表だった谺雄二さんを思い出している

戦後、ハンセン病のみなさんの
人権を取り戻すたたかいのきっかけになったのが
谺さんらがいた群馬県草津町の栗生楽泉園だ
冬は氷点下17度になる園…
患者の運動を抑えるために重監房があり
100人近くが投獄され半数近くが命を奪われた
まさに日本のアウシュビッツ…
このなかで共産党は
元患者のみなさんと一体になって
国による差別・人権侵害を告発し
人間の尊厳を取り戻すためにたたかってきた
ときには信頼関係を築くために寝食を共にしたと聞く
谺さんが15年前の共産党大会で
「党はわが家です」と発言されたとき
涙が溢れてしかたなかった
この同じ党大会で発言した、長崎県の諫早市議の中野太陽さんのことも思い出す

中野さんはハンセン病患者を家で看病したり、中国人強制労働者を隠しとおした家系の両親に
「差別のない平和な社会を目指しなさい」といわれて育った
ところが中学のとき先生に
「資本主義は努力すればもうかるが、共産主義は自由のない抑圧社会」と教えられ、食ってかかったけど
「理想論」で一蹴されたという
その先生が、中野さんが初めて立候補したときに突然と現れ「理想論いったことを今後悔している
差別のない平等で平和な世界をつくろうとしている君を信じて、いつまでも応援する」と励ましてくれ
「認めてもらうことがこれほどうれしいものなのか…」と、涙で声をつまらせていた
無知や偏見は計り知れないほど深く人を傷つけてしまう
しかし、それを乗り越える力も、人はもっている
党をつくって97年
個人の尊厳が何より大切される社会を築くため
たたかい続けてきた党として、今こそ本領発揮するときだと自負している