「どこも悪くないが手術を」という医者(首相)
2016年 08月 08日
しかし、投票終了後の、この豹変ぶり…
しかも「我が党の案をベースにして」と明言しているのですから、本当の狙いが9条にあることはいうまでもありません。
さらに「憲法審査会を動かして、どこの条文をどうかえるか、議論しよう」などといっています。改憲先にありき…
以下、中野晃一上智大教授が、憲法を「身体」に。そこにメスをいれる改正を「手術」に例えて、おもしろい話をされていました。その論文が掲載された「前衛」9月号から引用します
(以下引用)
「私に言わせれば、そもそも手術をするというのは、しないとにっちもさっちもいかないという緊迫性があるからするのです。できれば手術なんてものはしない方がいいのです。鼻風邪をひいた、多少突き指したぐらいで手術をすることは、まずあり得ません…
(略)
改憲が、もともと「トロイの木馬」のような形で、きっかけとなる改憲をおこなうことによって、より深く9条改憲まで行く、そのような改憲ができいないかを探すという、きわめて珍妙な状態になっているのです。それは「どこでもいいから手術したい」といっているのと同じくらいに、ほとんど変態の世界で、まったく合理的な意味をもたないものです」
(引用終わり)
まったく言い得て妙です。手術とは「これは治さないといけない」という原因があり、そのままでは障害が出たり、命に別状が出てくるというときに行うものです
「時代と合わない」「お試し改憲」…憲法改正について、さまざまな議論がやられていますが、具体的にどこの条文が「時代と合わない」のか、納得のいく説明を聞いたことがありません。「お試し手術」なんてものは存在しませんし、手術に身体を慣れさせるための手術なんて恐ろしくてたまりません
今年は憲法が公布されて70年…「こんなに長い間変えないなんて異常だ」と改憲派は言います。しかし、変える必要がないほど先駆的で立派な憲法だったということの証だと私は思います。
9条という軍隊の保持、交戦権まで否定した世界で最も先進的な恒久平和主義の条項をもち、30条にわたる豊かな人権規定
あの70年前の戦争の犠牲者のみなさんの「遺言」ともいえる憲法を絶対に守り抜き、日本がずっと「戦後」といえるように引き継いでいかねばなりません
変えるべきは憲法ではなく、憲法をないがしろにする政治こそ変えるべきです
さらに「憲法審査会を動かして、どこの条文をどうかえるか、議論しよう」などといっています。改憲先にありき…
以下、中野晃一上智大教授が、憲法を「身体」に。そこにメスをいれる改正を「手術」に例えて、おもしろい話をされていました。その論文が掲載された「前衛」9月号から引用します
(以下引用)
「私に言わせれば、そもそも手術をするというのは、しないとにっちもさっちもいかないという緊迫性があるからするのです。できれば手術なんてものはしない方がいいのです。鼻風邪をひいた、多少突き指したぐらいで手術をすることは、まずあり得ません…
(略)
改憲が、もともと「トロイの木馬」のような形で、きっかけとなる改憲をおこなうことによって、より深く9条改憲まで行く、そのような改憲ができいないかを探すという、きわめて珍妙な状態になっているのです。それは「どこでもいいから手術したい」といっているのと同じくらいに、ほとんど変態の世界で、まったく合理的な意味をもたないものです」
(引用終わり)
まったく言い得て妙です。手術とは「これは治さないといけない」という原因があり、そのままでは障害が出たり、命に別状が出てくるというときに行うものです
「時代と合わない」「お試し改憲」…憲法改正について、さまざまな議論がやられていますが、具体的にどこの条文が「時代と合わない」のか、納得のいく説明を聞いたことがありません。「お試し手術」なんてものは存在しませんし、手術に身体を慣れさせるための手術なんて恐ろしくてたまりません
今年は憲法が公布されて70年…「こんなに長い間変えないなんて異常だ」と改憲派は言います。しかし、変える必要がないほど先駆的で立派な憲法だったということの証だと私は思います。
9条という軍隊の保持、交戦権まで否定した世界で最も先進的な恒久平和主義の条項をもち、30条にわたる豊かな人権規定
あの70年前の戦争の犠牲者のみなさんの「遺言」ともいえる憲法を絶対に守り抜き、日本がずっと「戦後」といえるように引き継いでいかねばなりません
変えるべきは憲法ではなく、憲法をないがしろにする政治こそ変えるべきです
by kouzai2007
| 2016-08-08 18:20
| 政策