
この避難所は南相馬の方を中心に350人の方がいらっしゃったのでした
みなさん文字通り”着の身着のまま”で、「おじいさんの遺骨と位牌を持ってきたい…」「犬を檻に入れてそのまま出てきたんだよ。見殺しにしちゃった」とおっしゃっていたことが忘れられません
それから、みなさんずっと以前から原発への危険性を感じていたことも印象的。
「私の夫は東電に勤めていたけど『いざというときは100キロ逃げろ』といわれていた」
とか「運転開始30年の節目で廃止すればと思っていた」と口々におっしゃってました。「安全神話」は通用していなかったのだと驚きました
それから感動したことは、みなさんとても仲良く協力しあって生活していたということ

みんなでつくった子どもの遊び場です

小さくて見えないけど、子どもたちが非難されている一人ひとりに御用聞きしたりして、避難所ニュースを書いて、このホワイトボードに貼り出していました
最悪な事態でも(だからこそかもしれない)あたたかい人の輪、コミュニティをつくって、みんなで協力しあって生きている姿に涙がでました。
この「にこにこ学級」が泣けたんだよな。。。学校がないけど勉強を教えあう
そうそう「30キロ圏内」の高校は圏外に転入させられるのだけど、避難所近くに転入先があるとは限らないから娘さんと離ればなれになった人の話も印象的だったなあ
そのとき娘さんは高校近くの旅館で生活をしていたのだが、県から「6月まで」と一方的に通告され、転入先の学服は「有料」にされたらしいんです。
県にかけ合ったところ「県立に通っていた高校生は県の責任だが私立は面倒みきれない」と冷たくいわれたらしく、地元の共産党にも報告して解決させようと誓い合ったのでした
ああ、みなさんどうしているんだろう。。。
とにかく徹底した除染、原発ゼロの日本の実現のためには、国民の命やくらしよりも、東電や原発メーカーのもうけを優先させる政治をかえないといかん!という決意を新たにした経験でした